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大楽 源太郎(だいらく げんたろう、天保3年(1832年)(1834年の説もある) - 明治4年3月16日(1871年5月5日))は幕末期の武士・長州藩士。諱名は奥年、字は弘毅。萩城下に萩藩重臣で寄組児玉若狭の家臣である山県信七郎の子として誕生。幼くして児玉氏の給領地がある吉敷郡台道村(山口県防府市台道)に移住し、天保14年(1843年)12歳にして、主命により同地の大楽助兵衛の養嗣子となる。青年期に太田稲香、僧月性、広瀬淡窓らの門下に学び、勤皇思想を身に付け、また久坂玄瑞らと知己となる。安政4年(1857年)に師月性とともに上京し、以後京都において梁川星巌、梅田雲浜、頼三樹三郎、西郷吉之助らと交流を深めるが、翌5年(1858年)から始まった安政の大獄を受け急遽帰藩。幕府の手前もあり、藩命により蟄居を命ぜられる。その後脱藩して水戸に赴き、大老井伊直弼の襲撃を計画するが、未然に発覚して再び禁固に処せられる。赦免の後、久坂、高杉晋作らと協力して積極的に尊王攘夷運動を推進。元治元年(1864年)5月には大和国丹波市(現在の天理市)において画家の冷泉為恭を暗殺。同年に起こった禁門の変においては書記として参陣。長州藩の敗戦を受けて再度山口へと逃れ、慶応元年(1865年)高杉の下関挙兵に呼応して宮市に忠憤隊を組織した。同2年(1866年)には、故郷台道に私塾敬神堂(別称西山書屋)を開設、明治2年(1869年)までに多くの門人を育てた(後の内閣総理大臣寺内正毅もここに学んだ一人である)。 しかし同年、大村益次郎暗殺事件が勃発。犯人の神代直人、団紳二郎らが門下生であったことから首謀者の嫌疑を受け、幽閉を命ぜられる。翌3年(1870年)、多くの門下生が奇兵隊脱隊騒動を起こすと、再び首謀者の嫌疑を受け藩庁から出頭を命ぜられる。ここに至りついに山口より脱走し、豊後姫島に潜伏した後、豊後鶴崎において河上彦斎と語らって二卿事件を企てるも失敗。さらに久留米に走って応変隊を頼るが、新政府からの追及を受けた同隊隊士の川島澄之助らの手によって、翌4年(1871年)に斬殺された。勝海舟の評「大楽源太郎は善さそうな男だったよ。あまり度々会った事はなかったが、話せる奴らしかった。長州人には珍しい男さ」